M1

1970年代初頭、グループ4/5のレースにBWMもFRのCSLで参戦していたが、戦闘力が及ばず、ポルシェの独断場だった。
そこで、戦闘力の高いミッドシップカーをグループ4/5ホモロゲーション取得のために限定生産することになった。
実際の開発を担当したは、BMWではなく、そのモータースポーツを統括するBMWモータースポーツ社(現在のBMW M社)。
メーカープレートにも、BMWモータースポーツ社と明記されている。開発コードはE-26で、BMWモータースポーツ社初の量産モデルでもある。
しかし、BMWモータースポーツ社はモータースポーツに長けていたが、ミッドシップのスポーツカーを製作した経験がない。
年間400台を生産するという規定をクリアするのは難しいという判断から、豊富なノウハウを持つランボルギーニと提携することになった。

角型鋼管スペースフレーム、前後ダブルウィッシュボーンというレーシングカーに近い構造は、デ・トマソからランボルギーニに戻った
開発部門のチーフ、ジャン・パオロ・ダラーラによるもの。カウンタックと同じイタリア・モデナのマルケージ社によるフレームは、
角型断面の鋼管を組み合わせ、バルクヘッド、フロアをスチールパネルで補強。応力が一切かかっていないエクステリアは、
イタルデザインのジョルジョ・ジウジアーロが手掛ける。ボディパネルは、イタリア・モデナに近いTIR社によるFRP製。
10枚のパネルに分割され、特殊な接着剤とボルトによって固定されている。見た目の美しさだけでなく、Cd値は0.40を誇る。
フロントにはBMWの象徴である「キドニーグリル」があしらわれ、ライトはリトラクタブルの角目で左右2灯式。ボンネットのスリットは
ラジエターの放熱用、リアタイヤ上にある横長のスリットはエンジンルームの放熱用。ボンネットには、バッテリー、ヒューズボックス、
ウォッシャータンク、ブレーキフルードが収まる。全長の長いパワーユニットを収めるため、ホイールベースはこの種のクルマとしては
ややロングな2560mm。エンジンルームにはリヤエンド側にトランクスペースが設けられており、スペアタイヤと工具が収納されている。
給油口は、左右のリヤウインドウ下にある。テールランプはHELLA製で、6シリーズと同じタイプを採用している。

M-88と呼ばれるパワーユニットは、ツーリングカー選手権で活躍した3.0CSL用の水冷直列6気筒DOHCエンジンを発展させたもの。
ブロックは鋳鉄で、3.0CSLでは 30度に傾けて搭載されていたが、左右にスペースのないミッドシップレイアウトに
合わせるために直立にされている。ボア×ストロークは93.4mm×84.0mmで3453ccと、635CSi、M5と共通。
ヘッドはDOHC4バルブに換装され、ドライサンプ化されている。最高出力277PS/6000rpm、最大トルク33.0kgm/5000rpmを発揮し、
最高速度は262km/h。しかし、この数字はロードカーとして考慮されたもので、ポテンシャルは高い。
ロードバージョン用のほかに、470PSを発揮するグループ4バージョン、ターボチャージャーを搭載し
850PSを発揮するグループ5バージョンがある。このパワーユニットに組み合わされるミッションは、ZF製の5速マニュアル。
エンジンとの間に介されるクラッチは、フィヒテル&ザックス製のツインプレートタイプを採用している。

サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーンで、コーナーリングでの安定性を高めるため、
フロントに23mm径、リアに19mm径のスタビライザーが装備されている。ブレーキは前後ともベンチレーテッド・ディスクで、
フロントに300mm径、リアに297mm径のディスクが装備されている。ホイールは、カンパニョーロ社製の冷却用スリットが入った
専用デザインを採用。タイヤはピレリ社のピレリP7で、フロントが205/55VR16、リヤが225/50VR16を履く。

インテリアはオーソドックスで実用性に優れたレイアウトになっているが、BMWらしく高級感溢れるもの。
エアコンや電動ドアミラーを標準で装備し、静粛性も考慮されている。メーターは、左から油圧計,燃料計、タコメーター、
スピードメーター、水温計となっており、その間にさまざまな警告灯が配置されている。
全長の長いストレートシックスをミッドに搭載している影響で、スペース全体はややタイト。シートのリクライニングは
わずかしかできない。シフトはZF製の5速マニュアルで、レーシングパターンを持つ。その右に、
エアコン、パワーウインドウ、ハザード、デフロスター、リヤフォグのスイッチが配置されている。ドアトリムには、
スピーカーとドアミラーのスイッチが備わっている。左右電動式のドアミラーは、当時のスーパーカーとしては珍しい装備。

当初は、ランボルギーニ・カウンタックなどを製作したイタリア・モデナのマルケージ社がフレームを製作し、
FRP製のボディはイタルデザインで成型・塗装。エンジンはBMWモータースポーツ社で製作し、
足回りや最終的な組み立てをランボルギーニで行う予定だった。開発は順調に進み、1977年の夏には試作車が完成。
1978年春のジュネーブ・ショーで発表される予定だったが、ランボルギーニの開発が遅れたため、
キャンセルとなった。BMWがランボルギーニを買収するというプランも持ち上がったが、
ランボルギーニの下請け業者の反対にあい、1978年4月に提携を解消。BMWはこのプロジェクトをあきらめることなく、
シャシーとボディを計画通りにそれぞれマルケージ社とイタルデザイン社に依頼し、組み立ては古くから付き合いのある
ドイツのバウアー社に発注。最終的な調整をBMWモータースポーツ社で行うことにし、わずか半年後の
1978年秋のパリ・サロンで発表された。しかし、この複雑な生産工程は価格に影響し、11万3000マルクになってしまった。
これは、フェラーリ308、ポルシェ911の2倍にあたる。さらに、月産3〜4台という低い生産性により、販売は伸び悩んだ。

年産400台というグループ4ホモロゲーション取得を最初の1年間で達成し、最終的には800台を生産する
というプランが立てられていた。しかし、到底困難でありレースに出場することができなくなってしまうという判断から、
BMWはワンメイクレース「プロカーシリーズ」を企画。1979年から2年間、15台〜20台のM1により、
F1GPの前座レースとして行われた。ニキ・ラウダやネルソン・ピケなど、当時のトップレーサーも参加し
、話題になった。
そのほか、1979年のル・マン24時間耐久レースに参戦し、総合6位という成績を収めた。

生産開始は1978年7月からで、12ヵ月の間に400台を想定し、最終的に800台生産する予定だった。
しかし、複雑な生産工程が災いし、400台目がラインオフしたのは、1980年の暮れ。年産400台という基準をクリアしていないが、
FIAから特別に1981年以降のグループ4レギュレーションを与えられた。しかし、その翌年から新たなカテゴリーである
グループC選手権の開催が進められるとともに、BMWモータースポーツ社もF1エンジンの開発にかかりっきりだった。
そのため、M1の生産は中止されることになり、1981年7月4年間に454台(ロードカーは394台)を生産するにとどまった。
日本には正式輸入されず、並行で輸入され、当時の価格は2650万円だった。





BMWの象徴キドニーグリル

ユニークなデザインのホイール

リア左右にあるBMWバッジ

マフラーは左サイドのみ


▲M1レースバージョン
■Specification
発表年 1978
生産年 1978〜1981
生産台数 447
シャシー 鋼板溶接スペースフレーム
全長×全幅×全高(mm) 4360×1824×1140
ホイールベース(mm) 2560
トレッド前後(mm) 1550/1576
車両総重量(kg) 1300
エンジン 水冷直列6気筒DOHC24バルブ
ボア×ストローク(mm) 93.4×84.0
総排気量(cc) 3453
燃料供給 クーゲルフィッシャー燃料噴射
圧縮比 9.0
最高出力(PS/rpm) 277/6500
最大トルク(kgm/rpm) 33.6/5000
エンジン搭載位置 ミッドシップ縦置き
駆動方式 後輪駆動
トランスミッション 5速MT
変速比 1速
      2速
      3速
      4速
      5速
最終減速比
2.420
1.610
1.140
0.846
0.704
4.220
0→100km/h加速(秒) 5.6
最高速度(km/h) 262
ステアリング ラック&ピニオン
サスペンション 前後ダブルウィッシュボーン+コイル
ブレーキ 前後ディスク
ホイール 7J×16(F)、8J×16(R)
タイヤ 205/55VR16(F)、225/50VR16(R)
乗員定員(名) 2

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