デロリアン / Delorean
生産国:イギリス

DMC-12
DMC-12は、デロリアン・モーター・カンパニーの生産第1号車として、1981年のジュネーブ・ショーでプロトタイプが発表された。
正式な車名は「DMC-12」であり、「デロリアン」はメーカー名である。DMCはDelorean Motor Company の頭文字だが、
12は諸説あり、はっきりしない。DMC-12は、創業者である元GM副社長のジョン・ザッカリー・デローリアンの夢を具現化したものであり、
ストイックなスポーツカーというよりは、ゴルグバックを2つ積めて、アメリカ大陸を快適に横断できるスペシャルティカーとして開発された。

車両の開発には、コーリン・チャップマン率いるロータスが全面的に協力。バックボーン・フレーム上に強化プラスチックボディを
載せるという手法はロータスそのもの。シャシーはロータスのT型バックボーン・フレームをV型に変更し採用している。
開発当初、エンジンはスポーツカーの理想であるミッドシップを計画していたが、最終的にはリアに変更。
そのため、重量配分は35:65%と、リアヘビーになっている。エンジンは自社製ではなく、PRVの水冷V型6気筒SOHCを採用。これは、
プジョー/ルノー/ボルボが乗用車用に共同開発した量産品で、P、R、Vはそれぞれのメーカーの頭文字を意味する。
ストロークは73mmのままだが、ボアを88mmから91mmまでアップ。排気量を、2664ccから2849ccまで拡大している。
最高出力130PS/5500rpm、最大トルク22.45kgm/2750rpmを発揮し、最高速度は220km/hとなっている。ミッションは5速MTのほか、
オプションで3速ATも用意された。このDMC-12の開発はかなり困難で、コ―リン・チャップマンはかかりきりとなり、DMC-12の完成後
まもなく死去してしまう。そのため、ロータス愛好家からは、「デロリアンのせいでチャップマンの死期が早まった」とあまりよく思われていない。

エクステリア・デザインは、ロータス・エスプリなどを手掛けたイタルデザインのジョルジョ・ジウジアーロが担当。
特徴的なガルウイング・ドアは、スムーズな乗り降りと見た目のインパクトから、創業者のジョン・ザッカリー・デローリアンが
強く希望したもの。しかし、ガラス、電動モーター、電動ロック機構などにより、ドアの重量はかなりのもので、
ガス・ストラット1本で支えるには困難、かなりのトラブルがあったらしい。サイドウィンドウの開閉は、ごくわずか。プロトタイプでは
前後方向へのスライドタイプだったが、生産車は上下方向の開閉に変更され、パワーウインドウとなっている。
ボディにはERM(Elastic Reservoir Moulding)と呼ばれる、当時の新素材強化プラスチックを使用。ERMは、その性質上、表面塗装が難しく、
ボディ表面はパーツ化されたステンレス・スチールで覆われることになった。なお、海外ではボディがレッドやグリーンなどの車両も存在するが、
工場出荷時はすべてシルバーのステンレスであり、それらは後でユーザーが塗装したもの。フロントには、ラジエーターとスペアタイヤ、
三角形の燃料タンクが収まり、その上は、トランクになっているが、あまり深さはない。フロントのロードクリアランスが高いのは、当時の基準における
ヘッドライトの高さを満たすため。オプションとして、ボディサイドのストライプのほか、サイドウィンドウ下に取り付けるアクセントライン、
スキーラック、専用カバーなどが用意されていた。インテリアはシンプルで、特に飾り気はない。シートの後ろは、ラゲッジスペースとなっており、
多少の荷物なら収納できる。インテリアのカラーは、ブラック、グレー、ブラウンの3タイプがある。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場した車両がグレーだったため、3色の中でいちばん人気が高い。

DMC-12は、1981年モデルからアメリカでデリバリーされたが、開発不足と生産技術の低さから、トラブルが連続。
さらに、当初の予定よりもコストがかかり、販売価格は25000ドルになってしまった。これにより、嫌気をさした顧客からのキャンセルが相次ぎ、
1981年に生産した半分が売れ残ってしまった。経済的に立ち行かなくなった上、イギリス政府からも追加融資を断られ、1982年2月19日、
デローリアン・モーター・カンパニーはイギリス政府の財産管理下に。さらに、1982年10月19日、ジョン・ザッカリー・デローリアンが
コカイン密売容疑で逮捕され、1982年10月25日、デローリアン・モーター・カンパニーは2500万ポンドの負債を抱えて倒産してしまった。
倒産後も契約済みの4台を生産するため、工場は細々と稼動を継続。最後の1台が完成したのは、1982年12月24日のクリスマス・イブのこと。
特注のゴールドボディ仕様のDMC-12がラインオフし、デローリアン・モーター・カンパニーは短い歴史に幕を閉じた。

生産期間が短いため、モデルチェンジはないものの、途中で給油口とボンネットの形状が変更されている。
1981年の初期モデルは、ボンネットに溝があり、フロントウィンドウ手前に給油口のフタが設けられている。1981年の後期モデル以降は
ボンネットの溝はあるものの、給油口のフタが廃止されている。最も多くデリバリーされているのが、このタイプである。
1983年モデルでは、ボンネットの溝も廃止され、フラットになった。そのほか、ラジオアンテナの位置やドアベルトが出荷時期により異なっている。
DMC-12の総生産台数は、8583台。その内訳は、1981年モデルが6539台、1982年モデルが1126台、1983年モデルが918台となっている。
これ以外に、約500台がクラッシュテストや検査不合格品とした廃棄された。倒産後、多大な債務を残した見せしめのためか、
イギリス政府がボディのプレス機を海に廃棄してしまったため、DMC-12の再生産が不可能になっている。
KAPAC社(新生DMC)が、倒産後、工場に残っていた膨大な量のパーツを購入。一部を除き、ほとんどのパーツがいまでも新品で手に入る。
最近のニュースでは、この残ったパーツを使い、DMC-12を再生産するプランも進行しているという。

1985年、DMC-12がタイムマシンとして登場する映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開され、世界中で大ヒットを記録。デロリアンの名は、
世界中に知られることになった。当初のプランでは冷蔵庫がタイムマシンに使われる予定だったが、映画を観た子供が真似して
事故が起こるのを避けるため、最終的に自動車が選ばれたという。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は3部作であり、合計7台のデロリアンが使用された。

現在日本には、約130台のDMC-12が存在する。すべて並行で日本に入ってきたもので、実際に動くのはその半分程度。
新車発売当時、日産がディーラーになるという話しもあったという。



■Specification
発表年 1981
生産年 1981〜1982
生産台数 8583
シャシー バックボーン・フレーム
全長×全幅×全高(mm) 4267×1988×1140
ホールベース(mm) 2408
トレッド前後(mm) 1590/1588
車両総重量(kg) 1300
エンジン 水冷90度V型6気筒SOHC
ボア×ストローク(mm) 91.0×73.0
総排気量(cc) 2849
燃料供給 ボッシュKジェトロニック
圧縮比 8.1
最高出力(PS/rpm) 130/5500
最大トルク(kgm/rpm) 22.45/2750
エンジン搭載位置 リア縦置き
駆動方式 後輪駆動
トランスミッション 5速MT/3速AT
変速比 1速
      2速
      3速
      4速
      5速
      後退
最終減速比
3.364
2.059
1.381
1.057
0.8205
3.1818
3.44:1
2.40
1.48
1.00
-
-
1.92
3.44:1
最高速度(km/h) 220
ステアリング ラック&ピニオン
サスペンション 前後上下不等長アーム+コイル
ブレーキ 前後ディスク
ホイール 6J×14(F)、6J×15(R)
タイヤ 195/60HR14(F)、235/60HR15(R)
乗員定員(名) 2

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