Bora
創業以来、マセラティはレーシング・コンストラクターとして、フェラーリ同様、レースのためにスポーツカーを市販していた。
しかし、経営難から1968年にフランスのシトロエンに買収され、高級GTカーメーカーから
スーパーカーメーカーへと方向転換。ボーラは、記念すべき最初のモデルとして、1971年春のジュネーブ・ショーで発表された。
展示されたのは、やや薄いレッドメタリックに塗られたプロトタイプだが、モックアップではなく、実際に走行することも可能だったという。
開発コードはTipo117で、「ボーラ」という名は「スイスのアルプス山脈からイタリアのロンバルディア平原に吹き下ろしてくる強い風」の意。
1960年代後半のマセラティのフラッグシップモデルは、フロントエンジンのギブリだったが、ランボルギーニ・ミウラをはじめ、
フェラーリ・ディノ、デ・トマソ・マングスタなど、時代の流れはミッドシップへ移行しつつあった。ライバルに対抗するためは
マセラティにもミッドシップモデルが必要不可欠であり、当時のチーフデザイナーのジュリオ・アルフィエーリを中心に開発が進められた。

デザインを担当したのは、イタルデザインを興したばかりのジョルジェット・ジウジアーロ。ギア社時代に手掛けた、
ギブリの優秀さが認められたものだろう。他のスーパーカーのように、これ見よがしな押し出しはないが、全体的に洒落た雰囲気に仕上がっている。
Aピラーからルーフにかけてのシルバー部分は、塗装ではなくステンレスを磨き上げたもので、デザインにアクセントを与えている。
ボディパネルの製作とアッセンブリーは、マセラティではなく、イタリア・モデナ郊外の小さなカロッツエリア、オフィチーネ・パネダで行われていた。
ボディは全長4335mm、全幅1768mm、全高1134mmとコンパクトだが、ホイールベースは2600mmとかなり長めの数値になっている。そのため、シート後方に
収納スペースが設けられているほか、スペアタイヤをエンジン後方に搭載しているため、フロントフードに実用的なスペースが確保されている。

シャシーは、モノコック+鋼管フレーム構造を採用。前後に2本の角パイプを貫通し、その上にモノコックのボディを載せ、
スチール製のボディパネルも応力を受け持つようになっている。エンジンはサスペンションなどとともにサブフレームに組み込まれ、
サイドメンバーに取り付けられる。ツインプラグ方式のオールアルミ製水冷V型8気筒DOHCエンジンを、ミッションとともにミッドに縦置き搭載。
当時のマセラティには、4.2リットル、4.7リットル、4.9リットルの3種類のV8があったが、ボーラには中間の4.7リッターがチョイスされた。
ミッションはZF社製の5DS25で、全体的にハイギアードなセッティングになっており、最高出力310PS/6000rpm、最大トルク47.0kgm/4200rpmを発揮し、
最高速度は280km/h。ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリBBなど、V12エンジンを搭載するライバルに引けをとらないパフォーマンスを実現した。
なお、カタログには記載されていなかったが、一部の顧客向けにギブリ用の4.9リッター/335PSも用意されていたという。

サスペンションは、マセラティとしては初のダブルウィッシュボーンが採用された。ブレーキは前後ともベンチレーテッド・ディスクで、
ローターの径は前後とも280mm。キャリパーもガーリング社製の4ポットになっている。ホイールは前後とも7.5J×15で、
カンパニョーロ社製のマグネシウム合金を採用。初期のモデルは、ポリッシュした大きめのホイールキャップを採用していたが、
後にマセラティのマークのトライデントのエンブレムが付く、小さなキャップのものに改められた。組み合わされるタイヤはミシュラン社製のXWXで、
サイズは前後とも215/70VR15となっている。開発当時の親会社はシトロエンで、システムやパーツなど、さまざまなものを流用。
特徴的なのが、LHM(リキッド・ハイドロリック・ミネラル)という専用の鉱物油を使った油圧システムで、ブレーキサーボ、シート高上下、ペダルの位置調整、
リトラクタブルヘッドライトの開閉に採用されている。このうちブレーキは、アキュムレーターで圧を一定に調整しているほか、万一の場合に備えて
2系統式になっている。シトロエンはその他の部分への使用ももくろんでいたが、マセラティは走りに直接かかわる部分への採用は拒否したらしい。
そのほか、ドアノブはシトロエンSM、テールランプはアルファ・ロメオ 2000ベルリーナのものを流用している。

インテリアは、高級メーカーのマセラティらしく総革張りとなっている。バケットタイプのシートは固定式で、スライドもリクライニングもしない。
その代わり、ペダルの前後調整、シートの高さ調整、ステアリングの上下と前後調整でベストポジションを得るようになっている。
ペダルとシートの調整は、ブレーキと同じ高圧によるLHMで、シートは先端を支点として全体が上下する。
メーターは左側がタコメーター、右側がスピードメーターで、その中央には油圧計が収まる。さらに、センター部分には5連メーターがレイアウトされている。
左上から水温計、燃料計、油温計、電圧計、時計が並ぶ。シフトレバー後方にスライド扉式の小物入れ、シート後方に
同じくスライド扉式の収納スペースが用意されている。シリアルナンバーの001から004はプロトタイプで、005は欠番、
一般へのデリバリーは006以降となる。生産終了までモデルチェンジはないが、途中でエンジンの排気量が変更されている。

北米への輸出が始まったのは、1974年から。エンジンは、4.9リットルに拡大されたが、最高出力は300PSにダウン。最高速度も265km/hになった。
外観は、前後バンパーを大型の衝撃吸収タイプに変更、前後のフェンダーにマーカーランプを追加、
エンジンフードにラジエーターの熱気を逃がすルーバーが追加されている。日本仕様は、この北米仕様がベースになっている。
本国仕様も、1976年モデルから4.9リットルに変更。最高出力が10PSアップの320PSになったが、最高速度は280km/hのまま。

シトロエンに買収されたものの、このボーラをはじめ、弟分のメラクなどで復活したマセラティだが、
1974年にシトロエンがプジョーに吸収されてしまい、シトロエンとの関係が終了。マセラティは再び危機に陥ったが、
1976年に同じイタリアのスーパーカー・メーカーのデ・トマソが救いの手を差し伸べた。
デ・トマソの創始者アレッサンドロは、かつてマセラティでレース・ドライバーを務めたこともあり、恩返しの意味が込められていると思われる。
しかし、デ・トマソグループ傘下に入ったものの、デ・トマソの主力モデルはパンテーラで、ボーラと直接のライバルにあたる。
そのため、ボーラの生産終了が決定。パーツの在庫の関係で、1979年まで生産が続けられ、524台が世に送り出された。

スーパーカーブーム当時のディーラーは、横浜のシーサイドモーター。輸入が開始されたのは1974年からで、
1110万円のプライスが付けられていた。1400万円のフェラーリ365BBと比べるとやや割安感はあるが、現在の価格にすると2700万円程度にもなる。
ブーム当時はかなりの台数が国内に生息していたが、ブーム終焉後、ほとんどが海外へ輸出されてしまった。
なお、マセラティではボーラという名称を商標登録していなかった。そのため、フォルクスワーゲンが取得し、ボーラという乗用車を発売している。


■Specification(1971年デビュー当時)
発表年 1971
生産年 1971〜1979
生産台数 524
シャシー モノコック
全長×全幅×全高(mm) 4355×1768×1134
ホールベース(mm) 2600
トレッド前後(mm) 1474/1447
車両総重量(kg) 1400
エンジン 水冷90度V型8気筒DOHC
ボア×ストローク(mm) 93.9×85.0
総排気量(cc) 4719
燃料供給 ウェーバー42DCNF×4
圧縮比 8.5
最高出力(PS/rpm) 310/6000
最大トルク(kgm/rpm) 47.0/4200
エンジン搭載位置 ミッドシップ縦置き
駆動方式 後輪駆動
トランスミッション 5速MT
変速比 1速
      2速
      3速
      4速
      5速
      後退
最終減速比
2.58
1.52
1.04
0.846
0.74
2.86
3.77
0→100km/h加速(秒) 6.5
最高速度(km/h) 280
ステアリング ラック&ピニオン
サスペンション 前後ダブルウィッシュボーン
ブレーキ 前後ベンチレーテッド・ディスク
ホイール 7.5J×15(F)、7.5J×15(R)
タイヤ 215/70VR15(F)、215/70VR15(R)
乗員定員(名) 2


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